1948-11-27 第3回国会 衆議院 法務委員会 第10号
檢察当局に深き信頼をよせ、その徹底的なる剔抉のメスの振はれんことを期待するのはひとり吾人のみでなく、もはや國民的感情というも過言ではないであろうしかるに昭電疑獄摘発の端緒において、一部に司法檢察当局の威信を失墜するように推断せられる事実が風聞に上り、さらに靜岡のする事件における天野判事、次いで次に記述せんとする一事実等は、明らかに司法檢察当局の一部に必らずしも健在ならざる側面の存在することを暗示しているものと
檢察当局に深き信頼をよせ、その徹底的なる剔抉のメスの振はれんことを期待するのはひとり吾人のみでなく、もはや國民的感情というも過言ではないであろうしかるに昭電疑獄摘発の端緒において、一部に司法檢察当局の威信を失墜するように推断せられる事実が風聞に上り、さらに靜岡のする事件における天野判事、次いで次に記述せんとする一事実等は、明らかに司法檢察当局の一部に必らずしも健在ならざる側面の存在することを暗示しているものと
惟うにこのような失態を惹起した根本原因は、司法檢察当局の一部に官僚独善的な非民主的思想の底流があつて、それがたまたま機会を得て表面に顯れたものであると思われる。從つて不必要に被疑者を侮辱したり、相手の人権を蔑視したりするような不快な事実は可なり随所に行われつつあるものと考える。